作家・東峰夫 公式ブログ

東 峰夫 小説家。第33回文學界新人賞受賞、第66回芥川賞受賞。 著書: オキナワの少年(1972) 、ちゅらかあぎ(1976)、大きな鳩の影(1981) 、ママはノースカロライナにいる(2003) 、貧の達人(2004)、『現代の神話シリーズ』執筆中

大豆と[忠実]

大豆は忠実(まめ)。健康で丈夫という意味である。それはよいことだが、ただし誰に対して忠実なのか? ということに関しては問われてしかるべきであろう。

 

・・・

 

(かつては自分も父といっしょにカーペンターとして基地内で働いた。けれども頭上を戦闘機や爆撃機が発着するのを見て、「果たしてあれは正義なのか?」と疑問に思ったものだ。食うために働くというのは、それはそれで当然のことだが、「しかし雇い主が悪事を働く者である場合は、彼に忠実である必要はないのではないか? 悪事への荷担になるからだ」

と、そんなふうに考えて基地の仕事をやめたのだった)

それ以来、仕事に就くたびに雇い主のことを詮索するようになった。

(この人は何を目的に事業をしているのか? この人のもとで忠実に働くのはよいことか?)と考えるようになったのだ。

 

~ 『奥村にて』真実の成果について(執筆中)より~

麦と[誠実]

(良識というのは、野の知識の草から、良いのを選んで精神土壌の田畑に植えつけ、手塩にかけて改良して作った物=作物である。米や麦や豆がそれに相当する。ゆえに米には篤実という意味があり、麦には誠実という意味があり、豆にも忠実という意味がある。

「そんなのはコジツケだ。米や麦や豆に意味なんかあるものか!」という者がいたら、それこそがヒト科動物であろう。耳目はもっているけど、聞くことも見ることもできない輩だからだ。良識の作物と野山の雑草の識別ができないでは、そうなってしまうのだ)

~ 『奥村にて』真実の成果について(執筆中)より~

米と[篤実]

(山に入って思索したい)と思った。それで朝露にぬれた畔道を通って山へ向った。考えるべきことは山ほどあった。だから山で思索したいというわけではなかったが、とにかく自ずと足は山へと向ったのだ。

 明け方の夢で、ユング師が彼の書斎にあった羊皮紙の稀覯本をみせながら、[十物について]語ってくれた。それは七象十物の中の[十物]のことであった。

[…一は二となり、二は三となり、三は四となる。合わせて十だ。そこに十の産物があり十の産業が産まれる。産業は相互依存の共同体でなされるのが最善(ベスト)である]と彼は語った。

それは大事なことであったから、ぜひとも解りたいと耳を傾けたのだった。

[…たとえば大地が『無機鉱物』なら、そこから鉱物資源が産出される。それはそのまま鉱業となり建材業となる。それが第一段階の産業である。

大地からは『有機植物』と『動機動物』の二つが生まれる。植物からは米、麦などの食糧が得られ、動物からは牛乳、卵などの食物が得られる。たとえば羊毛からは毛糸、蚕からは絹、獣皮からは毛皮が得られるのだ。それが第二段階の産業である] 

[…そして第三段階の産業として衣料縫製業、食品加工業、住宅建築業が生まれる。それらは『衣・食・住』の需要を満たすための産業で、衣とは信服の着物、食とは心糧としての食物、住とは安住のための建物である]と彼はいった。

[…さらに第四段階に家具什器などの品物と、本などの書物と、靴などの履物と、宝飾品などの品物が製作される。かくして一は二となり、二は三となり、三は四となるのである。合わせて十の物産業というわけだ]と彼は語ってくれた。

夢から覚めて反芻した。そして思索にはまりこみたいと思ったのである。 

十物にはそれぞれ意味イデアが含まれてあるようだ。いずれにせよ、作業分担してそれらを生産し、産出したものを等分配するというのが最善(ベスト)であるという。それが隣人愛による相互依存と相互扶助の生活共同体であろうか? と思った。

~ 『奥村にて』真実の成果について(執筆中)より~

密林と[認識樹木]

櫓にのぼって見ると、北の方角に亜熱帯の密林が見渡せた。わが島にこんな雄大な原生林があったとは思いもよらなかった。原始の森は霧をたなびかせて、はるか遠くまで続いていた。と、櫓の上に父が現われたのだ。
「原生からの密林を眺めているのかね?」と父はいった。
「あー、父よ。認識の象徴が樹木だとしたら、それが集まって密林になっているわけですよね?でも、あまりに多種多様の樹木が、しかも雑然と密生しているので、何がなんだかわからなくなってしまいました」
「なーに、雑然たる雑木は気にするほどの木でもなかろう。役に立つ木だけに目にくれて、その活用を考えれば、それで済むことだ」と父はいう。
「例えばキナの木のようなものですか?キナの木からはキニーネがとれます。それはマラリアの薬になります。ゴムの木からはゴムがとれますし…」
「それで?おまえはマラリアなのか?」
「そ、そうではありませんが…」
「なら、そんな木など放っておけ」
「ラワンの木はどうですか?美しい木目をもった棺桶がつくれます。ソロモンは神殿をイトスギの木材を使って…」
「それで?ラワンの棺桶に入って、永の眠りにつきたいのかね?」
「そ、そういうことではありません」
「では、それも放り投げるがよい。認識せんがために認識の木を探すというのは、[空の空なるかな]だよ」
「うーん。それならヤシの木はどうですか?日々の糧(かて)としてヤシの実がとれます」
「それを庭に植えて、遊んで暮らしたいということか?」
「そ、そうではないですけど、南洋の島々ではヤシの木を十本も育てれば一生涯、食うに困らないということです」
「あー、[人が生きるのはパンのみに由るにあらず、神より出ずる言葉に由る]だぞ」
「うーむ、父よ。樹木の役割について、あれこれと考えているのです。樹木は材木にしたり、パルプにしたり、薬液をとったり、果実をとったりして役に立ちます。照合の方法で考えますと、認識の役割についても、いろいろと解明できるのでしょうが、でも、なぜだか漫然としていて、とりとめもないのです」
「うん、ならばおまえは馬になれ。わしは鹿になって密林探索に出かけようぞ」
 そこで二人は櫓をおりて父は鹿に、ぼくは馬に変身した。そのような変身はいとも簡単なことであった。例えば子供の頃、海辺で遊びながらよく海豚(いるか)に変身したものであったからだ。
「父よ、あなたが馬になってください。体が大きいですから。ぼくは小さい鹿の方でよいと思います」
「かまわんよ。では、わしは馬で、おまえは鹿。二人あわせて馬鹿になろうかね」
「二人はバカですか?」
「そうだ。おまえは人目を恥じる稀有(けう)なる怖気鹿(おじけじか)だし、わしはおまえに仕える天馬だ」
「これからどこへ? 何を探索するのですか?」
「そうだな、ユイという果樹原木を見つけにいこうか」
「ユイの原木?それはどんな認識を象徴する樹木ですか?」
「ユイとは結(ゆ)いのことだ。昔から農漁村でよく行われていた慣例で、互いに労力を出し合って田畑を耕し、みなで巡廻しながら共同作業したものだ。それを[結(ゆ)い回(まー)り]というた」
「その結い回りの認識が樹木となって、この密林に生えているのでしょうか?」
「そう。奥村に結いの学識が残されているからには、ユイの果樹もあるはずだ」
「としたら、それは食べられる果物が実るんですね?」
「もちろんだ。じつに美味しい果物でな、それやもう珍重されることだろうよ」
 そのような会話を交わしながら馬と鹿は、昼なお暗い密林に足を踏み入れたのだった。

~ 『奥村にて』真実の成果について(執筆中)より~

死人に口無し?

《死人に口無し》という諺がある。それをどう使うかというと、「目撃者は殺してしまえ。死人に口無しだ」とか、「死人は釈明もできないから、真相は謎のままに残る」というふうに使う。
しかし本当に《死人に口無し》であろうか? ぼくは『ユパの博物誌』で[心霊の存在証明]をやったので、それは違うと言いたい。《死人に口無し》と思う者は、無神論者か唯物論者であろう。
金銭崇拝教の神殿が銀行である。金銭崇拝も信教の一種なのだ。しかし「あなたの信教は?」と訊かれて誰も「はい。金銭崇拝教です」と答える者はいない。何故かといえば、それは本当の神信心に背反していることを知っているからである。《金銀木石を偶像化して崇拝してはならない》と宇宙神ヤハウェは戒めた。ゆえに金銀を崇拝すれば、偶像崇拝者として咎められることになる。それで死人は夢枕に立って語るのだ。ぼくは睡眠冥想で、その釈明を聞いた。それを書いたのが『ユパの博物誌』の内容となっている。
2016年8月21日 東 峰夫

雲の屹立

現代神話を書こうと志す作家にとって、哲学や心理学は必修科目であった。それゆえこれまでずいぶんと観念の川や情念の雲について哲学してきたものだ。[不可知の雲]といわれている対象に多くの時間を費やして挑んだのである。世間の学者で雲について哲学した者がいたかどうかは、寡聞にして知るところではないが、他者はどうあれ、ぼくはマジでそれについての哲学をしてきたのだ。

 

形而上学的(メタフィジカル)な雲は、なぜ首都の空に長逗留しているのか?)

(いつになったら雲散霧消してくれるのだろうか?)

(心の闇が暗雲をつくったのか。それとも暗雲が心の闇をつくったのか?)

(都市生活者の心にまといつく黒雲は、どのようにすれば払拭できるのか?)

(雨雲を豪雨に変えて落下させるという、何らかの方法があるだろうか?)

(意識大気の渦である台風を南方海上から呼びよせて、暗雲を払うことができるか?)

(そんなことをしたら、暗雲を増し加えるようなものか?)

(情念の雲と観念の川は、こじれにこじれた男女関係に相似するだろうか?)

(情念の雲をエロス、観念の川をロゴスに照合させて、考えることは可能か?)

 エトセトラ・エトセトラ。

 

ぼくの哲学は生活世界に密着していた。暗鬱な曇り日や疑惑の霧につつまれた日。悲哀にみちた雨の日や冷淡な雪の日など。それらの情念は日常生活に影響を与えずにおかない天の象(しるし)で、そこにこそ密着型の哲学があったのだ。背伸びをして雲の中に頭を突っ込んで、五里霧中の哲学ではあったが、いくばくかの成果はあった。

 ~ 『ユパの博物誌』心霊の存在証明(執筆中)より~

ユパの博物誌

 この本のタイトルは[ユパの博物誌]。それというのは、この本をリュックに入れての冥界旅行だったからである。主人公は旅の間中、この本を読んだ。書物が一冊もない飯場小屋で、あるいは一時期だけ住んでいた学生寮で、バイブルとして読んだのである。その結果、この本は旅の指南書となり、生活の教則本となったのである。

そういうわけで副題は[心霊の存在証明]。謎にみちた心霊存在を分数式で鮮やかに証明して見せている。ユング氏やパウリ氏が指導霊となって、手伝ってくれたから、そんなことができたのであろう。作者は経験上、神霊からのインスピレーションを受けて、それに同調しながら書くものである。そうでなければ書けないことを知っている。例えば役者が迫真の演技をするためには、霊魂がいっしょになって演じてくれることを念願する。それをしない者を大根役者という。

 作品の材料は例のごとく[夢日記]から採った。主人公は夢日記をつけていたので、日記から適切な材料を選んで、現代の神話にすべく綴り合わせたのである。それに心血を注ぎ入れたことはいうまでもない。つまり思考と感情を注入して生命(いのち)を与えたのである。分身としての作品を『生きたもの』にするために、それは必須条件であった。イミテーションを産み出すつもりは毛頭ない。

 以上でまえがきをおえる。それでは始めるとしよう。

 ~『ユパの博物誌』心霊の存在証明(執筆中)より~