作家・東峰夫 公式ブログ

東 峰夫 小説家。第33回文學界新人賞受賞、第66回芥川賞受賞。 著書: オキナワの少年(1972) 、ちゅらかあぎ(1976)、大きな鳩の影(1981) 、ママはノースカロライナにいる(2003) 、貧の達人(2004)、『現代の神話シリーズ』執筆中

密林と[認識樹木]

櫓にのぼって見ると、北の方角に亜熱帯の密林が見渡せた。わが島にこんな雄大な原生林があったとは思いもよらなかった。原始の森は霧をたなびかせて、はるか遠くまで続いていた。と、櫓の上に父が現われたのだ。
「原生からの密林を眺めているのかね?」と父はいった。
「あー、父よ。認識の象徴が樹木だとしたら、それが集まって密林になっているわけですよね?でも、あまりに多種多様の樹木が、しかも雑然と密生しているので、何がなんだかわからなくなってしまいました」
「なーに、雑然たる雑木は気にするほどの木でもなかろう。役に立つ木だけに目にくれて、その活用を考えれば、それで済むことだ」と父はいう。
「例えばキナの木のようなものですか?キナの木からはキニーネがとれます。それはマラリアの薬になります。ゴムの木からはゴムがとれますし…」
「それで?おまえはマラリアなのか?」
「そ、そうではありませんが…」
「なら、そんな木など放っておけ」
「ラワンの木はどうですか?美しい木目をもった棺桶がつくれます。ソロモンは神殿をイトスギの木材を使って…」
「それで?ラワンの棺桶に入って、永の眠りにつきたいのかね?」
「そ、そういうことではありません」
「では、それも放り投げるがよい。認識せんがために認識の木を探すというのは、[空の空なるかな]だよ」
「うーん。それならヤシの木はどうですか?日々の糧(かて)としてヤシの実がとれます」
「それを庭に植えて、遊んで暮らしたいということか?」
「そ、そうではないですけど、南洋の島々ではヤシの木を十本も育てれば一生涯、食うに困らないということです」
「あー、[人が生きるのはパンのみに由るにあらず、神より出ずる言葉に由る]だぞ」
「うーむ、父よ。樹木の役割について、あれこれと考えているのです。樹木は材木にしたり、パルプにしたり、薬液をとったり、果実をとったりして役に立ちます。照合の方法で考えますと、認識の役割についても、いろいろと解明できるのでしょうが、でも、なぜだか漫然としていて、とりとめもないのです」
「うん、ならばおまえは馬になれ。わしは鹿になって密林探索に出かけようぞ」
 そこで二人は櫓をおりて父は鹿に、ぼくは馬に変身した。そのような変身はいとも簡単なことであった。例えば子供の頃、海辺で遊びながらよく海豚(いるか)に変身したものであったからだ。
「父よ、あなたが馬になってください。体が大きいですから。ぼくは小さい鹿の方でよいと思います」
「かまわんよ。では、わしは馬で、おまえは鹿。二人あわせて馬鹿になろうかね」
「二人はバカですか?」
「そうだ。おまえは人目を恥じる稀有(けう)なる怖気鹿(おじけじか)だし、わしはおまえに仕える天馬だ」
「これからどこへ? 何を探索するのですか?」
「そうだな、ユイという果樹原木を見つけにいこうか」
「ユイの原木?それはどんな認識を象徴する樹木ですか?」
「ユイとは結(ゆ)いのことだ。昔から農漁村でよく行われていた慣例で、互いに労力を出し合って田畑を耕し、みなで巡廻しながら共同作業したものだ。それを[結(ゆ)い回(まー)り]というた」
「その結い回りの認識が樹木となって、この密林に生えているのでしょうか?」
「そう。奥村に結いの学識が残されているからには、ユイの果樹もあるはずだ」
「としたら、それは食べられる果物が実るんですね?」
「もちろんだ。じつに美味しい果物でな、それやもう珍重されることだろうよ」
 そのような会話を交わしながら馬と鹿は、昼なお暗い密林に足を踏み入れたのだった。

~ 『奥村にて』真実の成果について(執筆中)より~