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作家・東峰夫 公式ブログ

東 峰夫 小説家。第33回文學界新人賞受賞、第66回芥川賞受賞。 著書: オキナワの少年(1972) 、ちゅらかあぎ(1976)、大きな鳩の影(1981) 、ママはノースカロライナにいる(2003) 、貧の達人(2004)、『現代の神話シリーズ』執筆中

雲の屹立

現代神話を書こうと志す作家にとって、哲学や心理学は必修科目であった。それゆえこれまでずいぶんと観念の川や情念の雲について哲学してきたものだ。[不可知の雲]といわれている対象に多くの時間を費やして挑んだのである。世間の学者で雲について哲学した者がいたかどうかは、寡聞にして知るところではないが、他者はどうあれ、ぼくはマジでそれについての哲学をしてきたのだ。

 

形而上学的(メタフィジカル)な雲は、なぜ首都の空に長逗留しているのか?)

(いつになったら雲散霧消してくれるのだろうか?)

(心の闇が暗雲をつくったのか。それとも暗雲が心の闇をつくったのか?)

(都市生活者の心にまといつく黒雲は、どのようにすれば払拭できるのか?)

(雨雲を豪雨に変えて落下させるという、何らかの方法があるだろうか?)

(意識大気の渦である台風を南方海上から呼びよせて、暗雲を払うことができるか?)

(そんなことをしたら、暗雲を増し加えるようなものか?)

(情念の雲と観念の川は、こじれにこじれた男女関係に相似するだろうか?)

(情念の雲をエロス、観念の川をロゴスに照合させて、考えることは可能か?)

 エトセトラ・エトセトラ。

 

ぼくの哲学は生活世界に密着していた。暗鬱な曇り日や疑惑の霧につつまれた日。悲哀にみちた雨の日や冷淡な雪の日など。それらの情念は日常生活に影響を与えずにおかない天の象(しるし)で、そこにこそ密着型の哲学があったのだ。背伸びをして雲の中に頭を突っ込んで、五里霧中の哲学ではあったが、いくばくかの成果はあった。

 ~ 『ユパの博物誌』心霊の存在証明(執筆中)より~